新潟日報 (5月15日付)

  メディア掲載

 ◆平和への祈り 慰霊碑清掃、空襲体験を聞く会

新潟日報にて記事が掲載されました。
 
 
清掃を終え、慰霊碑の前で鎮魂を祈る戦没者遺族ら=5月14日、長岡市西片貝町
清掃を終え、慰霊碑の前で鎮魂を祈る戦没者遺族ら=5月14日、長岡市西片貝町
 

 ロシアによるウクライナ侵攻が続く中、太平洋戦争で命を落とした先人を悼み、平和を願う二つの催しが14日、新潟県長岡市で行われた。やまない戦火に市民らは非戦の誓いを新たにした。

 

 太平洋戦争の激戦地、ガダルカナル島とビルマ(現ミャンマー)方面で戦死した新潟県の関係者遺族らが14日、長岡市西片貝町に立つ「ガ島ビルマ方面戦没者慰霊碑」を清掃した。清掃後は読経に合わせて手を合わせ、戦没者の鎮魂と世界の平和を祈った。

 

 清掃活動は毎年、慰霊碑の保存会が行っている。今回は遺骨収集などに取り組む「全国ソロモン会」の会員7人も東京都や神奈川県、魚沼市などから参加。計21人で碑の周りの草を刈ったり、側溝の落ち葉を取り除いたりした。

 

 清掃後は順番に慰霊碑に手を合わせ、碑に刻まれた県人戦没者4223人らに思いをはせた。

 

 保存会会長の小林源四郎さん(86)=長岡市=は「ソロモン会の協力に感謝したい。多くの犠牲者のおかげで今の日本の平和があるということを今後も伝えていきたい」と話した。

 

 ウクライナの戦火はやむ気配がない。ソロモン会常任理事の﨑津寛光さん(49)=東京都台東区=は「かつてと同じ惨状が繰り広げられている。また遺骨が増えてしまう」と無念そうに語った。

 

◆長岡空襲、地獄の記憶は今も

 長岡市城内町2の長岡戦災資料館では、1945年8月1日の長岡空襲の体験を聞く会が開かれた。当時13歳だった市民が火の手から必死に逃げた記憶を初めて語り、戦争の悲惨さと平和の尊さを伝えた。

 

 会は新型コロナウイルス禍で中止が続き、3年ぶりの開催。当時、長岡国民学校に通っていた小酒井堅介さん(90)=長岡市江陽1=が経験を語った。

 

 長岡空襲は県内唯一の大規模爆撃で、市街地の約8割が焼失、判明分で1484人が犠牲になった。

 

 小酒井さんは空襲の夜、現在の同市信濃1の自宅で父に起こされ、飛び出して近くの信濃川に1人で逃げた。堤防から火の海となった街を見て「本当に地獄だと思った」と振り返った。

 

 家族は幸い無事だったが、勤労動員の仕事先が同じだった同級生を失った。「人と人とが殺し合う戦争は絶対にしてはいけない」と力を込めた。

 

 会は市が企画し、約40人が聞き入った。長岡市南中2年生の生徒(13)は「今では想像もつかない悲惨なことの数々が目に浮かび、平和の大切さを実感した」と話した。

 

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